にしにほんかんとりーくらぶ
1972年。第二代目の社長に就任した谷水雄三は、休暇を利用して伊丹空港から飛行機で九州に向かいました。その機内で、旧知の銀行幹部と偶然、顔を合わせました。「谷水さん、どちらへ?」から始まった何気ない会話が、西日本カントリークラブを誕生させるきっかけになったのですから、不思議な縁を感じざるを得ません。そして、その方から「折角、九州に行くのなら、私が案内しますから、ゴルフ場開発を考えませんか?」という申し出をいただきました。谷水はいくつかの候補地を見たのですが、思うような土地と出会うことが出来ません。諦めかけて「もう、この辺で結構です」と言いかけたとき「あと、一ヶ所だけ見てほしい」ということで案内されたのが、現在の西日本CCの土地でした。
当地での開発を決意した谷水は、設計者を誰にするか、思い悩みました。当時、ゴルフ界を席巻していたのはJ・ニクラウス、A・パーマー、ゲーリー・プレーヤーですが、谷水は親日家として知られるプレーヤー氏を設計者に選びました。そして、いよいよ工事着工という段になり、第一次オイルショックが始まり、物価高騰は勿論のこと、資材や芝生の調達にまで苦心するありさまでした。
それでも関係者の懸命な努力により1975年、無事に開場の日を迎えました。そして、九州アマチュア選手権(1990年)、九州オープン選手権(1994年)に続き、2019年も九州オープン選手権を開催致しました。
福岡県直方市中泉池代1356-2
最寄高速道路 : 九州自動車道八幡
コメント